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lieutar

lieutarさんのエントリーid:lieutar

418 fans

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lieutar

lieutar id:lieutar

返信先lieutar
まぁしかし、期日前投票は「投票日の選挙運動の禁止」と言う公職選挙法のセキュリティ・ホールでもあるんじゃないかしらとか、いやそのへんの手当もあるんかしらんが、もしあったとしたら詳しく調べると違反が山のように見付かりそうでもある。
lieutar

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[沖縄県知事選]

選挙はどこに投票したかについて本当のことを報告する必要がないのだから、事業所単位の期日前投票の徹底などをしても面従腹背を通すことは比較的簡単に思えるのだが、自公にそれをさせない秘策とかあるのかってのがすこし気になる。
まぁ、面従腹背パターンでも出口調査ではその実情はわからんわなとは思うわけだけど、新潟とかでの実績を見るとなーってのと、今度ばかりは状況的に違うかもって期待もあったりーの。
だってサキマさんて市長として嘘吐きとしての実績を重ねたわけでしょ?給食費無料→むしろ高くなる / ディズニーリゾート誘致 → オリエンタルランド「そんな話聞いてねぇ!」 だしな。それに対して翁長さんの壮絶な最期ですよ。
lieutar

lieutar id:lieutar

魔法の国のプリンセスが美少女なのは、それがヒューマノイドでありヒトと同じような個体差のばら付きがあり、なおかつプリンセスが存在する、すなわち封建社会なのであれば必然である。
煎じ詰められたトロフィーワイフの系譜の先端にいるわけだからね。逆にそういう社会の末端では怪物のような容姿の人々がいるのではないか。ダ・ヴィンチが下町で素描したようなね。
そしてその美少女性の裏側には筆舌に尽し難い簒奪の歴史の積み重ねがあるはずであり、またそのような社会においてしばしば美少女プリンセスは王侯貴族間の取引材料だったりして、すべての富と美貌を集めながらも幸福とは言い難い存在だったりするのではないだろうか。
魔法の国のプリンセスが、下町にやってくるのは、あるいはしばしばキャバクラ嬢のような奇抜な髪型をしているのは、14歳でオーストリアからフランスに嫁がされたマリー・アントワネットが親族に咎められながらも奇抜な格好をして、宮殿の一角に作らせた人工の村で隠遁生活をしていたものに通じるものがあるのではないだろうか。
だとすると、魔物の軍団が下町に侵攻し下町を火の海にし、何も知らずに魔物たち=人民の富を自らの心の隙間を埋める為に浪費していたことから断頭台に送られるような結末もありえるのではないかとか。
lieutar

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返信先lieutar
「それ街」なんかは自分自身の世界の見えかたの感覚に近くて、自分自身や家族や友人を美形だなんてとても思えないわけだけれど、その表情の変化はものすごくわかりやすくて、しかも顔の形態的特徴を気にすることと言うのもほとんど無い。
結局、見慣れた顔、頻繁にコミュニケーションをとる顔と言うのは情報の取捨選択の方法に慣れた顔なわけである。対して美形と言うのは一般的に情報の取捨選択の方法が広く流通した顔なわけで、だからこそ平均的な顔が美形とされやすかったりするわけで、まぁ我々は見慣れた顔を美形と変わらぬものとして、あるいは美形を見慣れた顔と変わらぬものとして捉える傾向がある。
対して頻繁にコミュニケーションをとる必要のない顔は、顔の形態的特徴が露骨に目に飛び込んできて、表情などがむしろ遅れて感じるわけで、その情報の捉えづらさを「見難い」≒「醜い」と捉え美形ではないものと捉えるわけなのだけれど、だからこそ、マサカズ・イシグロのキャラクターデザインはモブキャラには形態的情報量が多かったりするわけだ。
で、これに対して黎明期少女漫画のモブキャラってのは、そもそも頻繁にコミュニケーションをとるわけではない人物の顔はよく思いだせないってことで、メインキャラの情報量を一点豪華主義的に盛るわけなのだけれど、この近景に情報量が大きく、遠景は少い状況から、遠景の情報量をむしろ多くして行くところの変化には20世紀初頭の遠近法的変化、投影図法的視界の権威の相対的転落のような変化に通じるものがあるように思える。

ある面、視界における近代化のような状況が、サブカルの発展課程において、たとえば胎児が原始的な魚からヒトまでの進化そ成長過程に再現するように起こしたことは興味深いことではないだろうか。
lieutar

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ああ、しかし黎明期少女漫画のモブキャラデザインって独特の味があるよな。
主役だけをぱっちりお目々にした結果、情報量の不自然な差があるとかってキャラクターデザインの古典技法な。
で、だいたい主役だけが美形設定なのだが、これに対し現代の漫画、たとえば石黒正和氏の「それ街」なんかはむしろモブキャラの法が情報量が多かったり、テンプレな技法で描かれて可愛いらしく見えなくもない主人公が地味キャラ設定だったりってのの間の文脈と技術の深化には感慨深いものがあるのであった。
lieutar

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「ミラクル少女リミットちゃん」なるものの存在を知る。
昔の、多分サリーちゃんぐらいに昔の魔法少女もののひとつなのだが、そのミラクルパワーの源泉は異次元の魔法の国なんかではなくて科学の力。
リミットちゃんはサイボーグなのであると知ってなんかいろいろとヤバい。
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ニコ動ではわりと面白かった人がYoutubeではあまり面白く感じないって人がいて、それが何故かと考えればやっぱりその差はコメントで、
つまりコメントとのかけあいの感覚が優れていたが故にニコ動では面白く感じたのだけれど、その面白さは自己完結しているわけではないからYoutubeでは結構滑って感じてしまうってことなのだろうなと。
lieutar

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返信先lieutar
なんかさ、中高生ぐらいでコンクールに出場した子とか、とくに女の子とか緊張感の中でやりきったことで号泣してたりとか、あとスケートの選手が演技終えたあと、涼しいはずのスケートリンクで滝のような汗を流して肩で息してたりとか、ああいう緊張感はひとつの理想の形な。あれを1とすると今の自分は0.025ぐらいかな、せめて0.2ぐらいを目標として短期目標0.1から始めるかとか。
lieutar

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メド子、ブライアン亭一門に入ってたのか。ああしかし、またスケートの季節がやってくるのな。1年が早い。もっと生き方の密度を高めねば。
QOLって考え方に、不快からの自由とかって消極的要素ではなく、丁度良い緊張感って攻めの要素を加えるべき気が。
lieutar
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ひとはなぜ愚かなことはするのか?それは愚かだからだ。
と短絡的な結論を導くような愚かなのことをなぜするのか?それは愚かだからだ。
と短絡的な結論を導くような愚かなのことをなぜするのか?それは愚かだからだ。
と短絡的な結論を導くような愚かなのことをなぜするのか?それは愚かだからだ。
と短絡的な結論を導くような愚かなのことをなぜするのか?それは愚かだからだ。




というループの回避にはまず愚かさの分析が必要なのね。
で、愚かとは思考リソースの不足の結果の錯誤なわけで、その不足の原因は未熟や虚弱だけとは限らずに、何にそのリソースを割くかって戦略の問題があって、実のところどこに錯誤があるのかと言う問題よりも錯誤の語り口の方に意識を向けるべきなのかなと。切迫した不安が語るテーマについての思考リソースを割けないままに絶叫するか、もともとの思考リソース配分の戦略に変更を迫られることへの不安がろくに考えない反論を導きだすかみたいな違いな。
この2例について必要なのは落ち着き方だったり、もし社会が何らかの自らの範疇外の問題を抱えていて、そこに何らかの責任を抱えているときに、どうやってそこに向き合うかって技術とかの、最終的には技術論のシェアが必要になってくるのかなーとか。
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[ゴールデンラジオ]

どうにも金子勝せんせはとても偉いせんせなのだがザギトワの犬扱いされて以来癒やし系的存在になってしまっているのであった。
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10〜20年前の「都会的でオシャレなイメージ」を意図したであろうPVを見ると恥しくて死ねるのはなんでだ?

1. 今の感覚ではアラが見えてしまっているのをおそらく当時は自分自身受け入れていたであろうことに対し?
2. そもそも都会的でオシャレなイメージと言うもの自体に何らかの問題が内包されている?
3. まぁ都会的なものは10〜20年もすれば田舎の国道沿い的なものになるから?

lieutar

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加州では反SLAPP法なるものがあって、SLAPPであることが認められれば原告側に訴訟費用を負担させるってのがあるみたいだし、立法事実を積み重ねている安倍官邸(辺野古問題とかな)と愉快な仲間たち(大阪のとかな)が去ると日本でも成立させてほしい感。
lieutar

お前ら、三連休どうすんの?三連休じゃない奴は好きなサンドウィッチの具でもかいてろ

太めの魚肉ソーセージにスライスチーズとレタス(サラダ菜やチチャでもいい)を巻いて、さらに12枚切りの耳を落したやわらかいパンを巻けば旨かろうと常々思うのだが、なかなか実行に移す機会に恵まれないのであった。
lieutar

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返信先lieutar
右肩上がりの経済状況のもとで、財政赤字はあまり躊躇なく積み重ねられたが、人々の生活には余裕があって蹴落すことにも蹴落されることにもノホホンとしていられたが、蹴落しそのものはあったわけで、それは包摂の形としては偽物でしかなかったってことな。
まぁ、かつては「同じ東洋人であるからには、同胞であるはずだ」としていたはずの朝鮮の戦争で火事場泥棒の如くノホホンと伸ばした経済の正体みたいなところな。
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さういやネオリベ的空気をバブルの頃からのものと捉える話って結構あるけど、むしろバブル世代が成人するまでの高度経済成長期にはもうそういったものが埋め込まれていたと考えるべきなのだよなと。
オタク=ネクラ差別と言うのもそういった空気の中のド畜生な学園世界の産物だと思うのね。
lieutar

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返信先lieutar
社会が持つ排除のメッセージを最少化することで不要な侮蔑を生む不安を最少化する。そういったテーマにおいて死刑の是非や犯罪加害者の包摂と言う問題は重用。
また、手に終えず排除せざるを得なかった者のことをどれだけ憎しみと自己正当化ではなく悲しみと後悔で振り替えることが出来るかとか、そういうこととか。
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罵倒語化から自由になることってできるのかしら。
たとえば「情弱」や「アスペ」といった罵倒語化された言葉たちも元々は罵倒の為ではなく、社会の中のなんらかの要因がバリアとなるが故に困難を抱える人が出てくる社会問題を考える為に出てきた語のはずで、それを罵倒語として用い自ら積極的にバリアと化して行く姿に良心も知性も感じられないわけだけれど、でも良心や知性の対極に自らを据えることを「本音」と尊ぶ人々が一定数いるが故に起きた現象なのだと考えると、むしろ罵倒語化が問題と言うよりも罵倒しようって心象が問題よねと。
この手の心象の持ち主だと、あらゆる語を「人類を強弱二種類に分けるもの」として認識して、その上に立って自分より弱い誰かを論おうとするので、ヒトの性質を認識するための概念の殆どがエサになってしまう。
こういう現象をよく「誰かを下に置くことで努力なしで自分の上昇感を得ようとする」みたいに説明されるけれど、むしろ自分が引いたラインこそが弱者と強者を分ける閾値なんだ、閾値がこのへんだと安心できるんだと言う、神経症的な政治のような感じもするのね。
で、そういう政治が何故行なわれるのか、もっと言えば不安はどこから来るのかと言えば、競争とその結果による線引きの経験の蓄積だったりするわけで、でその経験の結果弱者に手厚くされたと言うよりはむしろ捨てられたりとか、捨てられるのを目にするとかそういうことだったりで、んでそういう経験の原初的光景に学校があることがいわゆる「悪の秘密結社・ニッキョーソ」みたいな発想とか、あるいは学校と知性の関連が筋を遠したもの、知性的なものへの嫌悪や恐怖ともやっぱり関係していたりするんじゃないのかなと。

まー荻チキ周辺のやってる校則(拘束って変換候補に失笑)見直し論的なものとか案外突破口になれそうな気もするなー。
lieutar

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[Youtube]

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